「一人一念」がすべての衆生を極楽往生へ導く
融通念仏宗をひらいたのは良忍(りょうにん)です。
良忍は天台宗の教えを学び、万人が結びつき極楽往生するための教えを広めるため、各地を行脚していました。
あるとき、そんな良忍のもとに阿弥陀如来が現れ、多くの人が必ず極楽往生できる方法を伝授します。
これは、阿弥陀如来の名前をとなえるもので、しかも
「一人が極楽往生すると、他の人も往生できる」=「一人が念仏をとなえることが、他の多くの人の念仏となる」
つまり、となえた念仏を分け合うことができるというものです。
天台宗や真言宗のような、宗派としての成立にはこだわらなかったため、融通念仏宗は良忍が亡くなると、一時断絶しました。
その後、鎌倉時代末期や江戸時代に教えが復活し、継承されていきます。
融通念仏宗の総本山は大念佛寺
大阪市平野区にある寺院。
1127年、日本で最初の念仏道場として良忍が創建しました。
正式名を大源山諸仏護念院融通大念佛寺(だいげんざんしょぶつごねんいんゆうづうだいねんぶつじ)といいます。
良忍ってどんな人?
1072年(平安時代)~1131年(平安時代)
尾張国(愛知県)の生まれ。
12歳から比叡山に入り、延暦寺、円城寺、仁和寺(にんなじ)で天台宗を学びます。
1117年良忍45歳のとき、一日6万回の念仏をとなえているある日、阿弥陀如来のお告げを授かります。
このお告げから融通念仏宗が誕生しました。
最後まで読んでいただき有難うございます 合掌
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