臨済宗の新たなる展開 これが黄檗宗だ!

中国から伝わった最後の宗派

 

臨済宗の流れにあるこの黄檗宗をひらいたのは隠元です。

 

栄西などが伝えた臨済宗は、中国・宋時代のものですが、隠元が伝えた臨済宗は明時代のものです。

黄檗宗という宗派名は、明治時代以降の呼び名で、当時は臨済正宗(しょうじゅう)とか臨済正伝黄檗派と呼ばれてたんだ

 

日本の臨済宗は、「無の境地」を目指し坐禅をするのに対し、黄檗宗は、「阿弥陀如来と一体になることが悟りの境地」を目指して坐禅をします。

 

日本の臨済宗との違いは、密教の修法をしたり、「念仏弾」とよばれる臨済宗では読まない阿弥陀経や念仏をとなえたりします。

 

 

黄檗宗の総本山はこれだ

京都府宇治市にある萬福寺

明朝風の寺院建築で、1661年、4代将軍 徳川家綱が隠元のために建立。

現在も明風の修行が行われています。

 

 

 

隠元ってどんな人?

1592年(安土桃山時代)~1673年(江戸時代)。

明の福州の生まれ。中国黄檗山にて修行を行い、鑑源(かんげん)を師と仰ぐ。

1654年来日。

3年で明に帰る予定だったが、幕府の崇敬を受けて萬福寺で住職を務める。

 

 

 

 

最後まで読んでいただき有難うございます 合掌

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