仏も悟りも考えず無心となれ
時宗(じしゅう)をひらいたのは一遍(いっぺん)です。
時宗は、鎌倉時代末期の浄土教の宗派。
「南無阿弥陀仏」と念仏をとなえるのは、浄土宗、浄土真宗と同じです。
ただ違っていたのは、一遍は
「煩悩にとらわれて迷いから抜け出せない衆生(しゅじょう)は、信心を確立することも難しい。ただ、無心になって念仏するがよい。」
と説きました。
念仏も信心も何もかも徹底して阿弥陀如来にゆだねるというもの。
時宗のはじまりは、一遍が熊野権現(くまのごんげん)からお告げを受けて「南無阿弥陀仏 決定往生六十万人」と書かれた念仏札を民衆に配ったこととされています。
六十万人とは、すべての人を往生に導くという誓願。
熊野大神(くまののおおかみ)とも呼ばれている。
熊野神を祀る神社は、日本全国に三千あるよ。
かねを激しく打ち鳴らして乱舞しながらとなえる「踊り念仏」が時宗の特徴。
時宗の総本山は遊行寺(ゆぎょうじ)
神奈川県藤沢市にある寺院。
正式名は清浄光寺(しょうじょうこうじ)。
1325年創建。
一遍上人にちなんで遊行寺と呼ばれている。
幾度の戦火、災害によって焼失しましたが、その都度復興を遂げた。
ご本尊は阿弥陀如来坐像。
徳川綱吉の「生類憐れみの令」では、金魚の保護所として役割を果たした。
一遍ってどんな人?
1239年(鎌倉時代)~1289年(鎌倉時代)。
伊予国の有力武士の家に生まれる。
7歳で出家して、比叡山で修行を積む。
その後一時、妻子と故郷に帰るが家督争いが勃発し再び出家。
熊野権現よりお告げを受けたことに始まり、妻子とも別れ諸国を行脚(あんぎゃ)。
このような生き方から、「遊行上人」「捨聖(すてひじり)」と呼ばれる。
捨てることに徹し、亡くなるときに著書もすべて焼き捨てたそうです。
最後まで読んでいただき有難うございます 合掌
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