師から弟子へ お釈迦さまの「坐禅」
臨済宗をひらいたのは栄西です。
臨済宗は禅宗の一つです。
かつて日本には三つの禅宗が伝わりました。
○臨済宗
○曹洞宗
○黄檗宗(おうばくしゅう)
悟りをひらく唯一の方法を、6世紀頃、達磨大師(だるまたいし)が中国に渡り伝えました。
禅宗の起源というのは、
「お釈迦さまが坐禅をして悟りをひらいたこと」
です。
栄西は、「仏教の根源を知りたい」と二度宋にわたり、悟りをひらきます。
1191年、禅の布教のため帰国しますが、当時はまだ禅の道場はなかったので、最澄の天台宗の再興という立場でした。
臨済宗は、一人の宗祖を頂点に広まったものではなく、その後、宋からの渡来僧や日本人の僧によって禅の修行道場が広がっていきます。
師から弟子へ、お釈迦さまの「坐禅」が伝えられていきます。
現在では14の本山があり、これらをまとめて臨済宗とよびます。例えば…
円爾弁円(えんにべんえん)の東福寺
修学旅行でおなじみの金閣寺(鹿苑寺)と銀閣寺(慈照寺)は夢窓疎石(むそうそせき)の開山です。
蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)の建長寺
無学祖元の円覚寺(えんがくじ)
関山慧玄(かんざんえげん)の妙心寺
など…。
その後、栄西の法系は途絶えてしまいます。現在は白隠(江戸時代中期)の法系によるものです。
栄西ってどんな人?
1141年(平安時代)~1215年(鎌倉時代)。
備中(岡山県)に生まれる。
比叡山に14歳で入門。密教を学ぶ。
宋に2度渡り、天台宗の虚庵懐敞(きあんえしょう)を師と仰ぎ、臨済宗の法を継ぐ。
帰国後、鎌倉幕府の後ろだてにより建仁寺(京都)、寿福寺(鎌倉)をひらき臨済宗の基礎を築く。
建仁寺
寿福寺
有名な著書に、
興禅護国論(こうぜんごこくろん) や、
喫茶養生記などがある。
最後まで読んでいただき有難うございます 合掌
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