法然の教えをもっとやさしく
浄土真宗の開祖は親鸞(しんらん)です。
親鸞は、浄土宗の法然を師と仰ぎ学びましたが、実は浄土真宗は中国の宗派や経典から誕生したわけではないんです。
法然は「南無阿弥陀仏」ととなえることを説きましたが、親鸞は
「阿弥陀如来が、過去現在未来すべての人を救済する願いそのものを信じる」
ことを重要視しました。
この教えは瞬く間に世間に広がります。
ですが、それまでの仏教界の反感を買い、親鸞は京都から越後(新潟)へ流刑にされてしまいます。
越後では僧侶の身分を剥奪されてしまいますが、念仏僧としてすべてを阿弥陀如来にまかせ生きていこうと、教えを伝え続けました。
親鸞の教え
○人間は煩悩や欲望から逃れられない。 仏の目から見ればみな悪人
↓
(従来の考え)自力で善い行いをせよ。
(親鸞の考え)まじめな人は努力して極楽往生することができるが、煩悩だらけの悪人(一般人)は、極楽往生できない。悪人こそ阿弥陀仏の救済にあずかる機縁がある。人間は自己の罪悪性を自覚して阿弥陀の本願を信じることが重要。そうすれば、阿弥陀仏に救われる対象になる。
親鸞ってどんな人?
1173年(平安時代)~1263年(鎌倉時代)
生まれは京都。
9歳で出家し、比叡山で厳しい修行を積む。
1201年、比叡山を下り法然の門を叩きます。
以降、法然を師と仰ぎ教えを広めていく。
また親鸞は、流罪にされた越後で家庭を持ち、子供にも恵まれました。
女性に触れず、肉や魚を食べない僧侶だけが仏の意に叶うものではない。
という考えは、庶民と共に生きる考え方であり、民衆に広く受け入れられていきます。
浄土真宗の総本山はここ!
東本願寺(京都)
西本願寺(京都市下京区)
東本願寺は、顕如(けんにょ)の長男・教如(きょうにょ)が建立。
西本願寺は、豊臣秀吉が再興した本願寺(現西本願寺)を顕如から三男・准如(じゅんにょ)が引き継いで建立。
当時は戦国の世で織田信長と敵対し、10年におよぶ戦い、いわゆる「石山合戦」の中心人物だよ。
浄土真宗の中でもとくに本願寺は「南無阿弥陀仏」ととなえる教団の団結力は強く、浄土真宗の他の宗派と区別され「一向宗」と呼ばれてたんだって。
多くの大名が恐れていた存在なんだよ。
最後まで読んでいただき有難うございます 合掌
コメントを残す