KINGことカズ、三浦知良選手が11日に
横浜FCと契約延長しました。
サッカー好きの私にはうれしいニュース
です。
プロ33年目を迎え、今年2月に51歳に
なるカズに対しイタリアメディアも
称賛しています。
もう素晴らしい!
としか言いようがないですね。
1986年にブラジルのサントスという
チームでプロキャリアを歩み始めた
カズはその後もブラジルの各クラブで
プレーしました。
1990年に読売クラブに
入団、Jリーグ開幕時はヴェルディ川崎の
一員としてプレー。
1994-95シーズンはレンタル移籍で
イタリアのジェノアに加入し、
アジア人初のセリエAプレーヤーと
なりました。
私も当時テレビでカズの活躍を観て
いましたが、イタリアのピッチに立って
いる姿に体が震えたのを覚えています。
今は誰からも慕われるカズですが、
最初から順風満帆だったわけでは
ありません。
ここまでくるには相当な覚悟と努力が
ありました。
15歳で単身ブラジルに渡ったわけですが
ブラジルに行くと言ったとき、
高校時代の監督から
「お前は99%無理だ」
と言われたそうです。
しかしカズは
「1%あるんですね。じゃあ僕はその1%
を信じます」
そう答えたことは有名な話。
大きな期待を胸に秘めサッカー大国に
降り立ったカズですが、当時の日本は
サッカー後進国だったためサッカーの
下手な人を「ジャポネス(日本人)」
と揶揄(やゆ)される時代でした。
とりまく環境はかなり厳しいものだった
ことは容易に想像つきます。
不慣れな言語に加え、
偏見と劣悪な環境。
体力、技術、日本とのサッカーレベルの
圧倒的な差を目の当たりにして、
ショックを受けました。
生活環境も日本とは違いますので、
ダニやシラミに悩まされたり、
私物を盗まれたこともあったようです。
それでも、全体練習後も一人で黙々と
個人練習をして前だけを見つめ走って
いたそうです。
後にブラジルから帰ってきたときの
会見で
「日本代表をW杯に出場させるために
帰ってきました。
見ててください。僕が日本を変えて
みせます」
と言っています。
どんなに厳しい環境でも、
いつもカズは明るく絶対に
泣き言はいいませんでした。
努力が実を結び、徐々にブラジルで
人気が出始めファンをとりこにして
いったそうです。
50歳で日本で現役を続けていることは
ブラジルでも広く知られています。
こんなカッコいいカズから
私が学んだことは、
私たち人間には
思っている以上に夢を叶える
素晴らしい力が備わっています。
何かを始めようとするとき、
できない理由を言い訳にしては
いけないんです。
カズのように信じてやればできると
思います。
9割の人間は、その能力を引き出すことも
せず人生を終えます。
つまり、目標や理想の生活を
達成する能力があるのに、
その能力を起動することなく
不満だらけの人生で終わっていきます。
私たちは生まれてきたときは
平等な身体を持っています。
どこで差がつくのかというと、
やるかやらないかにつきます。
死ぬ気でやれば何でもできると
思います。
「100mを速く走りたい」と思ったら、
練習する人は速くなるし練習しない人は
速くなりません。
「英語が話せるようになりたい」と
思ったら、勉強する人は話せるように
なるし勉強しなければ話せません。
ですので、やり続ければ必ず目標を
達成することができると信じています。
私もあきらめませんので、
あなたもあきらめないでください!
「常に何かに挑戦していれば輝きは失わ
れない」
三浦知良
最後まで読んでいただきありがとうございます。